春の門出

春は 新しい門出の季節とばかり世の中が一喜一憂する。
ラジオからは そんな人間の悲喜こもごもを唄う曲が流れてくるので
つい耳に付いてしまう。
どれも人生への応援歌ばかりに聞こえてくる。
不安な時代だから 沢山の応援歌が唄われることは必要で良いことなのだろうが
繰り返し耳にしてしまうと
ヘソ曲がりにも 歌詞に込められているはずの思いが
かすんで見えなくなってしまう時がある 淋しいながら。

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春と言えば ピカピカ一年生のお出ましの季節、
毎朝 通学路を上級生に見守られながら学校に向かう行列を見かける。
この時ばかりは十歳そこそこの上級生が妙に大人っぽく見えてくるのは不思議だ。

新入生で思い出すのは
いまどきの子どもは教室に用意された席をどう思っているのだろうか。
ブナやナラの木で無骨に作られた机の椅子が並んでいた頃は
どの机も先輩のお下がりそのものだった。
落書きはあたりまえ 天面はデコボコだらけ 穴があいてしまっているものもあった 
なぜか。 だから セルロイドの下敷きがないと 
かきかたえんぴつがうまく使えなかった。 
椅子も ビス穴の埋め木が浮き出ていたり 
修理した釘の頭が飛び出したままだったりして ズボンを引っかけたりしたものだった。
こう言ってしまうと 
なんとも情けない机や椅子の話になってしまうが 
今になって思えば言うに言われぬ懐かしさが彩られていた気がする。 

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昔話が多くなる年齢と言われそうだが 
モノと時代が沢山の思い出を喚起させてくれる。解かってもらえるだろうか!!

戦後の借り物のようなJⅠS規格と 
人間工学的見地とやらで用意された現在の学校の机と椅子たち、
スチールと成形合板でシンプルにスマートに便利そうに出来ている。
工業製品を否定するつもりは毛頭ない。
ましてや昔のものの方がいいと言うわけでもない。
ただ モノが思い出を呼び起こしてくれることはあるのだろうか、気になってしまう。
どうも仕事柄 手前味噌と言われようと
「木のぬくもり」などというところを持ち出して考えてしまうのだ。
春の門出もいい出発といい記憶の積み重ねの
求められるものであって欲しいと願うばかりである。

コピー ~ IM000007 

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